ちょうどひと月前の6月18日に、いつものように介護タクシーを呼んで
おじいちゃんを病院の検診に連れて行ったのだったなぁ。
おじいちゃんが亡くなってからしばらくの間、なんか心がちょっと重たい、
そんな感じを抱いていました。 これはなに?

ずっと考えていたんですけど、喪失感という感じなのだなと気づきました。
いつも体調や精神面のケアが気にかかり、具合が悪く
なりはしないかとのシンパイの種がおじいちゃんでした。
精神的に手枷足かせをはめられる、そんな感じが常にあったのです。

もうきちんきちんとお食事を運ばなくてもよい、咳ばらいやしわぶきひとつにも
聴き耳を立てなくてもよい、外出先から大丈夫だろうかと飛んで帰って
来なくともよい、お腹の調子や便の出具合などに心を配らなくともよい、
夜中に、ナースコールのようなおじいちゃんの呼び鈴、が鳴ることももうない。

そんなこんなのお世話が一気になくなったのだから、
圧倒的にラクにはなった。 けれど、なんかスカみたいなのですよね。 
もうじゅうぶんに世話をかけたから、ワシの面倒はこれから先みなくともいいよ・・・・
そう急に突き放されちゃうと、こっちは未だに戸惑っちゃっていますよ、おじいちゃん。

面倒がかからなくなった分、これはどうする? あそこはあれでいいかしら?
う~ん、これ何とかならないかなぁ、日々の暮らしの中の指南役とも言うべき
おじいちゃんの存在がなくなってしまったことに、
ちょっと戸惑っちゃっているのです。 寂しいんでしょうね・・・。

おじいちゃんがいなくなったことに、少しは慣れてきました。
人間って不思議ですね。 今まで何度も病気をし、入院をし、晩年はほぼベッドに
寝たきりでしたから、お世話とか介護は結構タイヘンだったのかもしれません。

なのに、タイヘンだったことなど、今となってはよく思い出せないくらいに
きれいに忘れてしまっていて、よくしてもらったこと、おじいちゃんとの
穏やかな会話、喜んでくれたこと、そんなことばかりが
懐かしく慕わしく思い出されるんです。 

そんなこんなで、今日も線香をあげおじいちゃんおはよう♪と
遺影に向かって手を合わせます。 
しかしあれやね、遺影に使った写真は9年前86歳頃のものだけど、
95歳のおじちゃんとあんまり変わらへんし、よ~うニコニコしてはるわ。


♪もうそこにいない私の指南役