穏やかに日々を暮らしていても、一瞬も気が休まることがない。 痛い・・・という言葉を聞いた時などだ。 首に痛みを感じる時、手術をした足の付け根が痛む時、もう身の置き所がないくらい痛い・・・と年寄りは訴える。 あんまり常習にしたくない鎮痛剤をのませる。 痛いから痛い、というのは当たり前のことだけれど、それを聞くのは結構辛いものがある。 普段バランスをとりながら、互いにストレスがたまらないように、外出ばかりをしていても、始終気になるのだ。 

そういうのが介護なのだから、仕方ないといえば仕方ない。 家にいる時は、何をしていても廊下を隔てたところにいるおじいちゃんの気配に自然耳をそばだてている。 用があって呼ばれた時、どこかが痛い時など瞬時にしてかけつけているのである。 夜など、今おじいちゃん呼んだよね?と慌てて覗きにゆく。 あ、呼んでなかったわ、空耳だったみたいね*^-^*、と戻ってくる。 それを見ていた連れ合いは、そんなに神経を立てていたらお前も太られへんはずやなぁ、ととっても可哀そがる。 

痛いのをどうにもできなくて、ほんとに可哀想なのはおじいちゃんなのだから、仕方ない。(*ー.ー*)

♪痛くないことが心の安寧だ